只見の雑学


伊南川の水害・・・只見町史より  11/11/2005 
水害に関して、1685年「風俗帳」に「伊南川洪水の事」の項目が立てられている
1 伊南川は度々洪水をおこした。雪が深いために、2月から4月末までは
雪しろ水によって、橋も残らず落ち、舟の渡しも丸太舟であったため渡すことができない。伊南郷・伊北郷は、その真ん中を川が通り、両岸に村並みが続いており、洪水のときには御公用・内用ともに不自由で困っている。雪融け水のほかに、
毎年夏から秋にかけて大水が出た。通路が断ち切られることも度々である。そのために川筋が破損しているところが多く、居屋敷まで押し流されてしまい困っている。
1 右のように洪水で橋も落ち舟渡しもできないときは、御公用を川向かいまで通達することができない。そのため、矢に書付を巻き付けて川幅の狭いところで矢を射った。相互に右のようにしており、ことのほか不自由である。
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伊南川はやさしく・・・時には荒れ狂う海のように激しく流れます
町史を読み、住みやすくなった生活・建設技術の進歩に感謝しました。



水久保城 ・・・11/9/2005 只見町教育委員会 只見町文化財調査報告書第7集 戦国の山城 水久保城の遺構より  
 福島県南会津只見町の中央、標高710mの要害山(ようがいさん)が、水久保城(みずくぼじょう)の遺構である。
金山町横田の
山内氏が本城郭に拠り、天正17年1589年6月から会津地方最大の勢力蘆名義広を滅ぼした伊達政宗に攻められる。豊臣秀吉は従属しない伊達氏および関東後北条氏への牽制のため、水久保城の山内氏を支援するのである。
 豊臣秀吉は既に天正14年5月から東北地方を含めた関東の地へ天下静謐のため、国境である戦国大名たちの領国の境目の確定を太政大臣と関白の名において通達した。伊達正宗に対しても秀吉は天正14年12月に伊達領国の国境確定と、勝手な他領土への侵攻を禁止。秀吉はこの東北を含めた東国の領土拡張を目論む戦の全面禁止令を「
関東惣無事令」と名付け、東国の惣無事の責任者に徳川家康を任じた。
 豊臣政権は伊達氏を「
惣無事令」違反として滅ぼすため、石田三成をして鉄砲・弾薬などの武器を水久保城へ輸送、越後の上杉景勝は背後から支援体制をつくり戦闘に臨んだ。秀吉は東国征伐軍進発を水久保城で理由づけたかったのである。なんと水久保城は、これらの支援もあって伊達勢の猛攻に耐えぬいた、のである。天正18年春に豊臣勢は小田原城を包囲、後北条氏を屈服させると 同年8月秀吉は会津に入り「奥羽仕置」を行った。秀吉は会津一帯を蒲生氏郷
領とし、山内氏は
上杉氏被官とみなされた。
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水久保城跡は要害山の山頂(只見駅後ろ)にあり、伊達政宗の侵攻にも落城しなかったという
山内氏の名城でした
急峻で複雑な要害山は、容易に人を寄せないところでしたが、 現在は遠足などで行かれた方も多いのではないでしょうか
伊達政宗豊臣秀吉石田三成上杉景勝らとも関わりを持つ水久保城跡。石垣が少し残っていますが、歴史を知って登るのも感慨深いと思われます。
 
要害山より・・・左に見えるのが蒲生岳 
   中央に只見川
 



つる細工・・・只見のつる細工は格別  6/14/2005 
老人会などでさかんにつる細工が行われていますが 只見のつる細工は材料がとても贅沢です
あけび、またたび、くるみ・・・・など  人の素朴なぬくもりが伝わります
↓の手提げバックは くるみでできています。 私の一番のお気に入り。持ち歩けば、何人もの方に声をかけられます。私もまた 持っている方に声をかけ
時間をかけ、手に入れたもの。 お値段は 大きさにもよると思いますが、10,000〜20,000円  どんな有名ブランドよりも自慢の一品です。  
   


さなぶり・・・農家では田植えが終わると  6/4/2005 
農家では、必ず(?) 田植えが終わったあと、手伝っていただいた方などを招いてごちそうをふるまいます。さなぶりと言われ、田植えが終わった当日〜数日後に行います。本来は、五穀豊穣を祈願する行事ですが、最近は割引セールやおまつりなどにも「さなぶり」の言葉が使われます。
只見人は、人を招いてごちそうすることが昔から好きだったようですね。



大根干し・・・どの家庭でも 3月末〜4月中旬
冬の間 雪室などで保存した大根は、3月末〜 庭先に干されます  「雪のあるうちに干すと 白くきれいにできる」と言われ、年中の保存食となります  大根をそのままつるして干す地方もあるようですが、せん切り、いちょう切りにして 茹でた後 ムシロの上で干します 煮物でいただくと美味しいです
(茹でずに 干される方も多いようです)
        



天神講(てんじんこう)・・・只見では冬の2月〜3月に行われます
天神様は、菅原道真を祀った学問の神様で知られます
昭和の初期までは、各地で盛んに行われていた行事でしたが 現在はほとんど見聞きすることがないのではないでしょうか60年ぶりに再現された地域もあるようですが只見では、天神講をずっと集落の行事としているところがあります
公民館などに、小学生が集まり 毛筆で 「てんじん」「天神講」と書きます  その後、おかあさん達が作ってくれた餅などをいただきます
一年生は、お兄さんお姉さん達との仲間入りにちょっと嬉しく、ちょっと緊張の様子。 集落のこども達は、兄弟のように繋がりが強く助け合います
以前は、自宅で行われ 夜遅くまで遊んでも良いと言われ、子どもたちは大喜びでした 

     


初午(はつうま)・・・暦の上では2月の最初の午の日を初午と言います
農家では、農地(畑)を耕す前、五穀豊作を願うためにお午さんが最初に農地(畑)をならすことから始まったそうですが
全国に通じた稲荷のお祭り日です。 只見では、今でもはつうまの日には 赤飯やごちそうを頂き 楽しみとなっています。この行事については、集落によって さまざまで、だんごを上げもうすところもあります。 





飴よばれ・・・隣近所の方を家によんで、出来た飴をごちそうします
冬になると、一般の家庭では水飴を作ります。餅米ともやし(麦をもやしにしたもの)だけで作ります。ご飯茶碗に入れられた甘くて熱い水飴を漬け物などと一緒にいただきます。時間をかけて煮詰める作業は、目が離せず、忙しい季節は無理で、これが冬の楽しみのひとつとなっています。一升の餅米で出来る飴は1合と言われ、とっても贅沢な食べ物なんです。




雪室・・・只見ではむかしっから、あたりまえのように、今もなお・・・
最近 米などの雪室貯蔵という言葉をよく耳にするようになりました(只見で米の雪室は聞きません)
只見では、庭先の雪の中に野菜を保存します。
昔は大根の上にわらをかぶせ、その上に雪を覆う「大根ぎょう」「大根にゅう」が多かったようですが、現在は雪の中にただ突っ込んで置くような簡単なものです。
出しっぱなしの野菜は、一晩で凍みて使えなくなることもあります。また、すぐに使いたい野菜は、水や(台所)の片隅で新聞紙に包んだり、発泡スチロールの箱に入れたり、凍らないくふうがされています。雪の中だと凍らない・・・・!?  そうなんです!
甘みが出て美味しいとも言われます。畑の野菜も採り残し、春に食べることもあります。この雪の中から掘りおこされた野菜(ネギ、キャベツ)がまた、んまい!のです。






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